|
||||||
<集合場所:地下鉄鞍馬口の改札口> ![]() <疏水が流れていた紫明通り。疏水が明治以降の堀川の水源となった。) ![]() <鞍馬口地蔵で有名な上善寺。西は寺町通り(御土居の西側にあたる)に接する。> ![]() <鞍馬口にある出雲路橋。風光随一の場所。下鴨神社の西からの参道でもある。> ![]() <みたらし茶屋のみたらし団子。3本で420円> ![]() <下鴨神社のみたらい川源頭> ![]() <みたらい川付近の古代祭祀跡(糺の森)> ![]() <糺の森の紅葉> ![]() <鴨長明の方丈。移動しやすいように全てが組み立て式となっている> ![]() <三井家下鴨別邸。見た人も多いので今回はパスします。> ![]() <加茂川名物、飛び石。行方は比叡山> ![]() <河原町通りからの清浄華院通路。かつてはこの間に御土居があったはず。> ![]() <紫式部邸跡に建つ蘆山寺。秀吉の政策で御土居に沿う寺町通りに移転> ![]() <蘆山寺墓地の御土居。保存状態はあまりよくないが、珍しく残ったことが貴重> ![]() <加茂川中学校裏の御土居。川からの高さから、大きさがわかる。> ![]() <御土居の外堀、若狹川。外堀というより配水施設> ![]() <墳墓のような御土居。よくぞここで残ったものだ。> ![]() <大宮交通公園内の御土居。振り向きもされず、放置状態。> ![]() <道路のすきまから突然顔を出す御土居。外堀もあり、当時の構造が一番わかる。> ![]() 平安時代の堀川は、尺八池からこの道路あたりを流れる川を水源としていたようだ。 <時代劇の撮影によく使われるという招善寺は御土居に接して建つ。> ![]() <当時の御土居の大きさがわかる一級の場所。ここが開削されたのは水事情か?> ![]() <御土居といわれれば、ここと言うくらいに有名な鷹峯の御土居。西北隅にあたる場所> ![]() <御土居餅(140円)で有名な光悦堂。前の通りが若狹に抜ける古代の鯖街道。> ![]() <御土居の内側にあたる鷹峯藤林町が薬草園である。> ![]() <知られていないが自由に御土居に登ることができる唯一の場所、御土居史跡公園。> ![]() <民家に挟まれて偶然に残った御土居。このあたりは道路が左右で傾いている。> ![]() <こちらは御土居の外側なので、北区平野鳥居前町。洛中は上京区。> ![]() <北野天満宮の御土居。今回の御土居めぐりはここまで。> ![]() <北野天満宮あたりでは川が相当に狭くて深い。> ![]() <一條橋から見た天神川の上流。道路の屈曲部から対岸へ御土居が川を渡っていた> ![]() <平野中学校の校庭に残る御土居。フェンスが高くて中が見えない。> ![]() <御土居の上の児童公園。上面を削ってあるが、それでも路面より高い。> ![]() <祟りが御土居を守った。市五郎明神。> ![]() |
||||||
![]() |
参考地図 (歩行ルート) ![]() (明治42年測図) 赤線は御土居の推定地 ![]() (現在に明治期の地図を重ねたもの) 赤線は御土居の推定地 ![]() |