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これまで当尾といえばとオウム返しに石仏といっていましたが、般若寺を訪れ、東大寺再建の際に宋から渡来した伊派石工集団の存在を知り、また叡尊を開祖とする真言律宗の活躍や、その孫弟子にあたり南北朝時代に南朝で活躍した天才的な文観を知ってからは、どうしてもそのような目で、石仏や石造物を思い、また、実物を眼で確かめたくなったのも事実です。
さりとて、岩船寺も浄瑠璃寺も鎌倉時代以降に創建された寺ではなく、それよりはるか以前に創立された寺で、寺に入ればその時代の宝物を見ることが出来るし、浄瑠璃寺などは、薬師如来の瑠璃光世界と阿弥陀如来の浄土世界が両立するという珍しい寺で、かつ当時の九体仏が現存するのも珍しい。
それでも、多くの人が石仏に惹かれるのは何故なのでしょうか? 路傍の石仏もかつては庵の中で祈られていたのでしょうか、それとももともと路傍の仏であったのか。そのようなことを各自が独自で想像できることが魅力なのかも知れません。 木像ならば朽ち果てていた仏も、石造だからこそ何百年もほぼそのまま変わらず存在し続けたことに、自己の有する生命の時間と比べ、その長さに驚嘆するのかも知れません。
岩船寺も浄瑠璃寺も中世から江戸時代末期までは興福寺・一乗院の末寺であったが、明治維新で一乗院が廃寺となったため、それ以降は叡尊が再興した西大寺の末寺として、石造物と関係の深い真言律宗となっている由、なんとなく歴史のつながりを感じてしまいます。
文観、その人が播磨の出身であることも身近に感じる要因なのかも知れません。
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昨年12月に訪れた般若寺・十三重石塔 |