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宮とは御屋。天皇の住む屋敷。都は宮処。宮を中心とした役所がある広がりを意味しているそうな。聖なる明日香の地を離れ、中国の皇帝権威に倣って、初めて作られたのが藤原京。天皇が祭祀のトップから行政のトップに変容した時代ともいえるとは、ある学者の説です。
そんなことを考えながら、大和三山や藤原京を歩くのも楽しい。また、江戸時代までにはすっかり忘れ去られていた文献上の神武天皇陵が、一部の歴史探訪家の手を離れ、幕末の公武合体政策の中でにわかに必要とされ、さらに天皇制の強化とともに、その始祖の聖地として整備されていった畝傍山周辺は、自然豊かに原始へと戻っています。そこには、生身の人間が生きてきた里山的景観があったはずですが、その自然豊かな景観の中に埋没させられてしまったという歴史もあるのです。感性だけで通り過ぎるだけでは実にもったいない。知を働かせば歴史的何かが見つかる。畝傍山周辺はそれができそうな場所なのです。 |