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大輪田の津(港)が栄え、福原が都であった時代がありました。平安末期、平清盛の時代です。大輪田の津も福原も今の神戸市だということは良く知られていますが、現在の神戸市の中心地の三宮や元町ではありません。そんな山と海が接近しているところに都が来るはずもなく、かといって複合扇状地が連なる灘区や東灘区あたりでもありません。江戸時代まで中心地だった兵庫なのです。都が計画されたのは、そこから西に広がる長田区の平野部にかけてだといわれています。
ところが、清盛の没後、事態は急変し源義経がこの地の平家を襲撃したため、平家は西へ敗走することになります。「鹿も四足、馬も四足・・・」のいわゆる一の谷の合戦が有名ですが、最近の研究では、それは決して須磨の一の谷では無いとのことです。江戸時代の博学の徒が、たまたま須磨に一の谷という地名があったので間違って「ここだ」と言ったのがそのまま伝わったというのです。
そこで、今回は、平安末期に戻り、真の義経の鵯越逆落としといわれる道をたどりたいと思います。神戸の山間部は、大規模な住宅地の開発が進んでいますが、この歴史的ルートは不思議と自然が残っている場所でもあるのです。何ヶ所かまだ詰めていませんが、今後の案内を楽しみにお待ちください。 |