
大阪城の重要文化財
1. 大手門 - 寛永5年(1628年)創建、嘉永元年(1848年)修復
および 塀 3棟(大手門南方、大手門北方、多聞櫓北方)
2. 多聞櫓(渡櫓、続櫓) - 嘉永元年(1848年)
3. 千貫櫓 - 元和6年(1620年)
4. 乾櫓 - 元和6年(1620年)
5. 一番櫓 - 寛永5年(1628年)
6. 六番櫓 - 寛永5年(1628年)
7. 焔硝蔵 - 貞享2年(1685年)
8. 金蔵 - 江戸時代(寛永2年(1625年)創建)
9. 金明水井戸屋形 - 寛永3年(1626年)
10. 桜門 - 明治20年(1887年)
大阪城天守閣が映える撮影スポット
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西の丸庭園
広がりのある庭園(緑)の中の天守閣。
(西の丸は、本丸に次ぐ重要な曲輪で、秀長や北政所が住んでいた。)
(江戸時代には、城代の上屋敷があった。現在は大阪市の所有地。)
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山里口出枡形(天守閣の北側になる)
見上げる天守閣。
(山里丸は城内でも里山の風景を成し、茶会が催された場所という。
また、秀頼、淀君自刃の場でもある。)
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日本庭園(本丸内の西)
池の中に写るの天守閣。
(陸軍の時代に本丸御殿が燃えたので、和歌山城の二の丸御殿を移築した。)
(これを紀州御殿と呼んだ。その庭園を基にして、天守閣に合わせて整備した。)
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極楽橋からの眺め
外堀越しの天守閣。
(極楽橋は、戦国時代にあった石山本願寺に関連した名だといわれている。)
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玉造口横の石垣の上 、青屋門横の石垣の上
石垣と天守閣。
(大阪城の南東にあった多聞櫓を有する門があった。維新の火事で燃えてしまった。)
詳しい資料については、企画者に問い合わせてください
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