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 旅の楽しみの一つは、その土地でしか買えないようなものを買うことである。 だから、旅先では先ずスーパーマーケットかデパ地下をのぞく。 もう一つは、本屋である。 郷土誌には、その土地の香りがするものが多い。 おもしろそうなものを気まぐれに買う。買っても、それらを読破したことはあまりない。 時々思い出したようにパラパラと眺めるだけである。 

 そのような本の一つが、右の「近江の峠」である。 滋賀県はなるほど、海がない県だ。だから、どこへ行くにも陸続きである。 しかも、中央に琵琶湖という窪みを持っているので周囲は山である。 どこへ行くにも必然的に峠を越えなければならない。 近江に入るには峠を越えなくてはならないのか。オモシロそうだと思って買った1冊である。 今回の「赤坂山」について調べると、載っていた。 粟柄峠のすぐ近くだ。 この道はなかなか味わいのある峠のようだ。 

 冒頭部分を少し、紹介する。

初めて粟柄越の地名が記憶の中に刻まれたのは、山登りでよりも、水上勉の小説「湖の琴」からであった。
 マキノから登る粟柄越は、伸びやかに山稜を広げる赤坂山の南のコルを越え、若狭の耳川の源流へと下って行く。峠を越えたその耳川の源流には粟柄という集落があったという。
 古い地図には粟柄という地名と集落が記入されていたように思っているが、今、改めて五万図を広げてみてもその痕跡はまったくない。ただ峠道の破線が、尾根に取り付いて登っている。粟柄には峠越えの荷運びを業とする人もいたというから、定期的な荷物の行き来があったのだろうが、いまの峠道を歩いてみると、露にもそのようなことが思い浮かばないような道に見える。峠付近は風が吹き渡る広大な笹原で、その笹を分けて細々とした道が続き、瀟々と風が吹き渡る。その稜線に出るまでは深い樹林に包まれた道である。しかし、晴れていれば両側に、若狭の海と琵琶湖の大観が開ける雄大な眺望が見渡せ、春は多くの草花が花をつける、明るい峠道となる。それでも暗く寂しいイメージが私自身につきまとうのは、小説「湖の琴」 の影響だろうか。
 その甘、人や荷が頻繁に越えた粟柄越の風景というのはどんなものだったのだろうか。
(以下略)